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ハンバーグと親鸞と。

「ここ、よく来てるんだ。おいしいですよ」
といって下北沢の洋食屋に行ったのは東京に住み始めて一年目の夏だった。

同じフロアに入っている会社に勤務していた彼は、周りにそそのかされて私のことを好きかもしれないと言う。好きかも、というあいまいな言葉なのに周りに囃し立てられ、どこが好きかを私の前で話す彼の額にはうっすらと汗が光り、ああ、悪い人ではないんだろうな。という気持ちを持った。

ただ正直私は乗り気ではなかったが、勤務先では猫をかぶっていたこともあり、むげにはできず、彼の「僕が出る音楽イベントを見に来てください」という一回のお願いだけを了承して、指定された小さなホールに向かった。


「僕ね、実家がお寺なんですよ」
結構遠くで。だから今バイトであの会社に来てるんです。いつかは帰ろうと思っていて。
とイベントが終わってから誘われた食事で彼は話した。
下北沢の小さな、アットホームな洋食屋さんのカウンターで私は勧められたハンバーグを食べた。
「家が、お寺?教会の間違いではなく?」
おいしいハンバーグだったと遠い記憶はあるがその時に聞いたことが衝撃的過ぎて、味が飛んだ。
「はい。お寺ですが?」
「だって今日ゴスペルしてましたよね?」
そう、その日私が見に行った音楽イベントはゴスペルの発表会で、彼は壇上で聖歌隊として体を揺らしていたのである。
「あぁ、うちは浄土真宗なんですよ。開祖は親鸞で、知っているかもしれないけれど、親鸞、意外と自由なんです」
肉も食べられたし、とハンバーグを口に運びながら彼は話す。
「僕、音楽が好きで、いつか本堂でもゴスペルイベントができたらいいな、って思うんですよね。いつか、そこにも来てほしいです」
と話す彼の笑顔を見て、そしてイベントで挨拶をした時に「本当に来てくれたんですね!」と言い見せた笑顔を思い出し、本当に、本当に悪い人ではないんだなと。

ただ、わたしとは違うところで生きているんだろうな。


特に連絡先も交換せず、そこからは二人きりになることもないまま、私が会社を辞めてしまったので、いつ彼がバイトを辞めたのか、彼は本当に地元に帰って、僧侶になっているのかはわからない。

いまでは下北沢のどこだったか思い出せない小さな洋食屋での思い出。
トピック「思い出のレストラン」について。

洋食フライパン

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