こっそりと骨をもらって食べたいと、空からのぞく思い出の我

昨日の明け方、祖父が亡くなった。
その前日より、危篤だと知らされていたのが原因なのか、不思議と私はその時、悲しいとも思わず、ものすごく自然とその事を受け入れた。

前にも書いたかもしれないが、幼い時から両親が共働きだったため、私は祖父母の家に平日は夕方までほぼ預けられていた。(全然仕組みがわからないのだが、自分の家の学区ではなく、祖父母の家の学区の小学校に通っていたりした)
祖父母は佃煮店、と言いながら卵や手作りのポテトサラダ、コンビーフなどもある小さな商店を営んでいた。
その奥の部屋で私はおやつにジャガイモや、羊羹の切れ端や、白砂糖をかけたかき氷、祖母がつくってくれた蒸し饅頭を食べて大きくなったのだ。

祖父は「煙草を喫む」という表現が似合う人だった。部屋の掘り炬燵の上には灰皿があったはずなのにいつのまにかなくなった。私が「おじいちゃんは煙草くさい」といったのが原因らしい。大変申し訳ない。今では私が時々吸うようになってしまったのにね。

祖父はどこまでが本当でどこまでが嘘なのかよくわからないことをいう人だった。

そういうところはものすごく父、そして私と似ていると思う。
祖母が亡くなる前から認知症の症状が出始め、いろんなことがわからなくなっていった。
わからなくなっているはずなのに、店を営んでいたのが原因なのか、外面が良く、祖父の葬式などでもしゃんと立ち、弔問客にもしっかりと対応していた。
その時会う人には、「ぼけているなんて信じられない」と言われるくらい対応が完璧で、いや、完ぺきというか昔からもしかしたらのらりくらりと人を交わして生きてきたのかもしれないけど。
その頃には家を出て、結婚をして、なかなか帰らなくなっていった私の事は自分の妹だと思っているようだった。

以前に書いた通り、こういうわたしなのでそれは仕方ないと思うが、若干複雑な気持ちになる。

正月に会った時にはかなり子供に戻ってしまっていて、建替えた家は自分の家じゃないと、「**さん(祖父の母)の家に戻らなくてはいけない」と何度も言っていた。その家は建て替えてしまったけれどここなのに。明治座前の通りだと。その通りが、目の前の小さな路地なんだよ。ただそれも数分経つと忘れてしまう。

「わたしのこと、誰だかわかっけ?」
と意地悪な質問をしたが、それに対してもニコニコと
「あ、珍しいお客さんだなぁ、○○さんけ?」
「ちがうよ~」
「だんべぇ、ほーんと、ひさしぶりにきたなぁ」
とけむに巻こうとしていたので、この人は、ほんとうに…と絶句してしまったのが最後の思い出だ。


先ほど書いた通り、私は家から出てしまっているのでこういう祖父の綺麗な思い出を書く事はずるいことだと思っている。

ただ、今日はタバコが吸いたい。

週末実家に帰ります。